―――そして、俺は全てを手に入れる。







接触。


いつもの様に聖域から帰ってきたサガを迎えるため玄関へと向かうと、立っていたのはサガのカタチをした違う生き物。
夜闇を張り付けたような黒い髪と、赤く充血した瞳。
俺が後ずされば、それはさも楽しそうに笑う。
「どうした?兄が帰って来たというのに、その態度はないだろう。」

聞き慣れた、サガの声。

「……何だ…?お前…。」
足がすくむ。
動けない。
その瞳から、目が離せない。

しばらくそのまま睨み合いが続く。
否、睨んでいるのは俺だけであって、それはただ柔らかく、慈しむかのようにこちらを見ていた。
「私はサガだ。何を恐れる?」
そして、一歩踏み出し身体も思考もフリーズしてしまった俺へと手を差し延べると、

「何も心配することはない。さぁ、おいで…カノン。」
今までに見たことがない程の、綺麗な微笑み。
今までに聞いたことがない程の、優しい声色。甘い言葉。


「……さ、が…。」







―――そして、俺は全てを見放した。







黄金の聖衣を身に纏い、笑む。サガのように…否、サガになって。
第6の宮へと差し掛かったところで意図せずに歩みが遅くなる。ここの守護者とは、できうる限り顔を合わせたくなかった。
心臓が早鐘を打つ。
入口にはやはりシャカが座禅を組んで座っている。
「また君か、最近多いな。」
シャカは微動だにせずに言う。
鼓動の音が酷く煩わしい。
「…何のことかな?」
「ごまかさずとも良いよ。私には判るのだから。」
「何を…」
「君など、教皇が何も言わぬから放置しているまでのこと。気付いていないとでも思っていたのかね?」
「―――!!」

不意にシャカが顔を上げる。
瞳は閉じられているが彼には全て見えているのだろう。
シャカは何も言わない。
ただじっと、俺を見上げている。
こちらから何か言うのを待っているのか、それとも俺の心の内を見透かそうとしているのかはわからない。
しばしの沈黙、睨み合い。
先に耐えられなくなったのは自分。
真っ直ぐにこちらを見据えるシャカから顔を逸らし、歩を進める。
「逃げるのかね?」
「…馬鹿を言うな。教皇に用事だ。」
「……フン。」


長く続く階段をただひたすらに上る。
なんてことはない動作のはずなのに、足が重い。息苦しい。
久しぶりに見る青く澄んだ、晴れ渡る空。
それさえもまるで俺を責めているように感じられた。







―――そして、俺は全てを手に入れる。







異変。


「カノン…。」
ソファで寛いでいると珍しく家にいるサガが思いつめたような表情で横に座ってきた。
「なんだサガ、どうかしたのか…?」
「カノン…。私は私がわからないんだ…。」
「……?」
言われている意味がわからなかったが、話を聞いてすぐにアイツに思い当たった。
「最近おかしいんだ…。知らない内に物の配置が変わっていたり、気付いたら一日が終わっていることもある。私は…一体どうなってしまったのだろうか…。」
「サガ……。」
「私は…、どうすれば良いのだろうか…。」
俯いたままサガは俺にしがみついてくる。
久方ぶりに見る、こんな弱々しい姿。
それとも、ただ俺が気付いていなかっただけなのだろうか?

こんなにも追い詰められてしまうまで…?

「私は、私は…。」
サガの、服を握るその手に力が篭る。
俺は何も言えなかった。
ただ、その小さく震える肩を、背中を、ゆっくりと撫でてやることしか出来なかった。







―――そして、俺は全てを嫌悪した。







石段を上る。
何も考えたくない。
思考をゼロに。
無人の天秤宮を抜け、纏わり付いてくるミロを適当にあしらえば…、


「サガ!」
「アイオロス…。」



この世で一番会いたくないヤツ。







―――そして、俺は全てを手に入れる。







密会。


聖域から帰ってくるサガは、ここのところずっと黒かった。
「……また、お前か…。」
「随分な言われようだな。別に構わないだろう?」
「構わなくない!サガを追い詰めるのはもう止めてくれ…!サガに……。サガを、返せ!!」
「アレが勝手に思い悩んでいるだけだろう?…それと…、」

酷く、優しい笑み。

気味が悪いくらいに穏やかな声。

サガのカタチをした、サガではないその姿。

「私はサガだ。」
堂々と言い放つその気迫に気圧されそうになる。
「ち…、違う!お前はサガじゃな―――ッ!?」
首にかけられた両の手。少しずつ力が増していき、それに伴って呼吸が出来なくなっていく。
サガになら、と何度も頭に画いたシーン。
「私はアレに生み出された。故に私はサガだ。」
「ッぐ…ぁ……。」
「私は…、サガだ…!」
「―――ッ!?」
このまま絞め殺されるのかと、遠退きかけた意識でぼんやりと思った刹那、身体に痛みが走り、肺が空気を吸い、むせる。
床に放り投げられたのだと認識するのにはしばらくかかった。

「私は……。」
生理的に滲んだ涙で歪む視界でそれを見上げると、黒い髪が毛先から徐々に碧へと変わりつつあった。


「……私は、誰だ…?」







―――そして、俺は全てを諦めた。







石段を駆け上がる。
もう、誰も俺に構うな。
サガ…、サガ…!

残りの宮を全て駆け抜ける。
違う。
違う。
俺はサガじゃない。
サガになれやしない。
結局、俺は……!!


教皇宮へと入ったところで、自身の足に足を取られ、転倒する。
無人のそこにやけに大きな音が響いた。
しばらくそのまま倒れていたが、ふと思い付いてがばりと上体を起こす。
―――そうだ、聖衣…!
座り込んだままで、サガの物であった双子座の聖衣を、腕、胸、腰、脚と見下ろすが流石にこれくらいでは砂がついたくらいなもので、安堵の息を漏らす。
「………。」

泣いてしまいたかった。
泣いて解決するのならば。
泣いて楽になるのならば。
泣くことが、自分に許されるのならば。

「……ぅ、…く……。」
泣くな、泣くな。

「…ふ…、ぅ…。」
止まれ、止まれ…!

―――サガ…。


「カノン…?」
「―――?!」
溢れかけた涙を指で半ば強引に拭い、顔を上げるとちょうど奥の間から出てきたところらしい教皇と目が合った。
「何やらド派手な音がしたので気になって来たのだが…。」
ゆったりとした動作で近付いてくる教皇を、真っ白になった頭でぼんやりと眺めていたが、はたと我に返ると慌てて聖衣の砂を払い、その御前にひざまずいた。
「双子座の聖闘士、只今とうちゃ……?」
言い終わらない内に頬を両手で包み込まれ、上向かせられる。
「転んで泣いていたのか?全くお前はいくつになっても…。」
「ち、違…!」
「まぁ良いわ。しかし今日こそサガを呼んだはずだったのだが?」
「ぁ……。」
「ヤツはどうしたのだ?」
「サガ……、サガ…は……。」


一度は押し止めることの出来た涙は、しかし再び止めることは出来なかった。







―――そして、俺は全てを手に入れる。







半身。


「カノン。」

サガ…?

「カノン…。」

泣くな、サガ…。

「カノン、私にはもう…自分をどうにも出来ない…。」

そんなことない、いつか…!

「教皇ももうお気づきになられている…。」

あんなジーサンどうにでもなるって!

「カノン、私はもう嫌なんだ…。」

サガ…。

「カノン…。もう、生きているのが苦しいんだ……。」



「―――サガ…!!」



見た目よりもずっとしっかりした首筋。
震えていうことを聞かない指。
それでも精一杯の力をそこに込めた。

いつか見た、デジャヴュ。

意図せずに流れくる涙。
霞む視界には、柔らかく微笑むサガと、自身の腕。
見るに耐えられなくなって俯いてしまう。
こんなサガが見たかったわけじゃないのだ…。

「………が…。」
声が上手く出せない。
「…サガ…、大丈夫だよ…。」
早く。
「俺…頑張るから…。」
早く、解放してあげなければ。
「サガの代わりに、頑張るから…。」
サガを長く苦しめちゃいけないのに…!
「だって…サガは…。」
それ以上絞めることを本能的に拒む自身の手を叱咤する。



「サガは…、俺の大切な兄さんだから……。」

「………カノン…。      」
「うん…、俺も…。」






―――そして、俺は全てを失った。













後書きと言う名の言い訳。

サガは時一兄さんに捧ぐ。


不幸せな双子が好きです。
でも、幸せな双子の方がもっと好きです。

まぁ、アレですよ。
気が向いたら加筆します。
でもロスを嫌いになりたくないのでミロが増えると思います。
そしてその日はやってくるのか・・!?

後、聖衣でこけたら絶対痛い。